| 倭が高句麗と争ったことが記されているのは何か? |
好太王碑の碑文 |
| 高句麗の騎馬軍団との戦いは、倭人達にどのような影響をもたらしたか? |
乗馬の風習がなかった倭人達に騎馬技術を学ばせた |
| 5世紀はじめから倭の五王が相次いで中国のどこに朝貢していたか? |
南朝 |
| 5世紀はじめから倭の五王が相次いで中国の南朝に朝貢していたということは何に記されているか? |
「宋書」倭国伝 |
| 倭の五王とは? |
讃・珍・済(せい)・興・武 |
| 倭の五王が中国の南朝に朝貢したのはなぜか? |
朝鮮半島南部をめぐる外交・軍事上の立場を有利にするため |
| 済は何天皇であると考えられているか? |
允恭(いんぎょう)天皇 |
| 興は何天皇であると考えられているか? |
安康天皇 |
| 武は何天皇であると考えられているか? |
雄略天皇 |
| 渡来人が伝えたもの、5つ挙げよ |
鉄器・須恵器・機織り・金属工芸・土木 |
| 渡来人である弓月君が伝えた物は? |
機織り |
| 王仁(わに)が伝えた物は? |
論語 |
| 西文氏(かわちのふみうじ)の祖先は? |
王仁 |
| 東漢氏(やまとのあやうじ)の祖先は? |
阿知使主(あちのみお) |
| 秦氏(はたうじ)の祖先は? |
弓月君 |
| 須恵器とはどのような土器か? |
灰色で硬質の土器 |
| 渡来人の技術者集団の中で、鍛冶を担当したのはどの組織か? |
韓鍛冶部(からかぬちべ) |
| 渡来人の技術者集団の中で、製陶を担当したのはどの組織か? |
陶作部(すえつくりべ) |
| 渡来人の技術者集団の中で、機織りを担当したのはどの組織か? |
錦織部(にしごりべ) |
| 渡来人の技術者集団の中で、彫刻を担当したのはどの組織か? |
鞍作部(くらつくりべ) |
| 韓鍛冶部、陶作部、錦織部、鞍作部はそれぞれ何を担当したか? |
鍛冶、製陶、機織、彫刻 |
| 畿内とは何に由来する言葉か? |
中国においては、天子が住む場所を示すため、日本では大王、つまり天皇が住む場所とされた |
| 渡来人が伝えたことによって、何の使用が始まったか? |
漢字 |
| 漢字の使用例として、何が挙げられるか? |
埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文 |
| 漢字を使用することによって何ができるようになったか? |
日本人の名や地名などを書き表すことができるようになった |
| 漢字を用いてヤマト政権の様々な記録や出納・外交文書などの作成に当たったのはなんという組織か? |
史部(ふひとべ) |
| 6世紀にはどこから来た誰によって儒教が伝えられたか? |
百済から来た五経博士 |
| 6世紀には百済から来た五経博士によって何が伝えられたか? |
儒教 |
| 儒教とほぼ同時期に伝えられた学術は? |
医・易・暦 |
| どこから来た誰によって仏教が伝えられたか? |
百済から来た聖明王 |
| 百済から来た聖明王は何を伝えたか? |
仏教 |
| 仏教が伝えられたのは誰が天皇の時か? |
欽明天皇 |
| 仏教が伝えられた時期について、「日本書紀」説では何年か? |
552年 |
| 仏教が伝えられた時期について、552年とする説は何によるものか? |
日本書紀 |
| 仏教が伝えられた時期について、「上宮聖徳法王帝説」「元興寺(がんごうじ)縁起」説では何年か? |
538年 |
| 仏教が伝えられた時期について、538年とする説は何によるものか? |
上宮聖徳法王帝説、元興寺縁起 |
| 仏教が伝えられた時期について、552年と538年ではどちらが有力な説か? |
538年 |
| 古事記、日本書紀はいつできたか? |
8世紀初め |
| 古事記、日本書紀の元になった物は? |
「帝紀」(大王の系譜)、「旧辞」(朝廷の伝承・説話) |
| 古墳時代後期の九州北部の古墳には何が建てられたか? |
石人・石馬 |
| 古墳時代後期の、横穴の墓室に彩色あるいは線刻された壁画を持つ古墳をなんというか? |
装飾古墳 |
| 古墳時代前期から中期の初めまでは弥生土器の系譜を引く何という土器が用いられていたか? |
土師器(はじき) |
| 豊作を祈る春の祭祀をなんというか? |
祈年(としごい)の祭り |
| 収穫を感謝する秋の祭祀をなんというか? |
新嘗(にいなめ)の祭り |
| 鹿の骨を焼いて吉凶を占うことをなんというか? |
太占(ふとまに)の法 |
| 裁判に際して、熱湯に手を入れさせ、手がただれるかどうかで真偽を判断することをなんというか? |
盟神探湯(くかたち) |
| 倭の王権が勢力を拡大して地方豪族たちを服属させたという記事は何年の何によるものか? |
478年の倭王武の上表文 |
| 478年の倭王武の上表文の内容は? |
倭の王権が勢力を拡大して地方豪族たちを服属させた |
| 埼玉県の稲荷山古墳出土の鉄剣銘と熊本県の江田船山古墳出土の鉄刀銘にはともに何と書いてあるか? |
獲加多支歯大王(わかたけるおおきみ) |
| ヤマト政権は5世紀から6世紀にかけてなんという支配の仕組みを作り上げていったか? |
氏姓制度 |
| 氏姓制度によって、豪族達は血縁やその他の関係をもとに構成された何と呼ばれる組織に編成されたか? |
氏 |
| 氏姓制度によって、豪族達は氏単位によってヤマト政権の職務を分担し、大王は彼らに何を与えたか? |
姓 |
| 姓とはどのようなものか? |
政権内の地位を示す |
| 臣姓はどのような者に与えられたか? |
大和の有力豪族、地方の伝統ある有力豪族 |
| 連姓はどのような者に与えられたか? |
特定の職能で朝廷に仕える有力豪族 |
| 君姓はどのような者に与えられたか? |
地方有力豪族 |
| 直(あたえ)姓はどのような者に与えられたか? |
一般地方豪族と渡来人 |
| 中央の政治は臣姓・連姓の豪族からなにが任じられてその中枢をになったか? |
大臣・大連 |
| 大臣・大連の下の伴造(とものみやつこ)は何を率いて職掌を分担したか? |
伴やそれを支える部と呼ばれる集団 |
| 新しい知識・技術を伝えた渡来人達も伴造や伴に編成され、なにがそれらを支えたか? |
品部の集団 |
| 527年、筑紫国造磐井が新羅と結んで反乱を起こしたことをなんというか? |
磐井の乱 |
| 磐井の乱は何年に、誰が、どこと結んで反乱を起こしたものか? |
527年に筑紫国造磐井が新羅と結んで反乱を起こしたもの |
| 磐井の乱のあと、ヤマト政権は九州北部に何を設置したか? |
直轄領としての屯倉 |
| 磐井の乱のあと、ヤマト政権は各地に何を設置したか? |
直轄民としての名代・子代 |
| 6世紀には地方豪族は何に任じられ、その地方の支配権を大和政権から保証されたか? |
国造 |
| 有力な豪族は私有地である何を領有していたか? |
田荘(たどころ) |
| 有力な豪族は私有民である何を領有していたか? |
部曲(かきべ) |
| 氏や氏を構成する家々には奴隷として使われるなにがいたか? |
奴(奴婢) |
| 朝廷に仕える地縁的同族集団の首長をなんというか? |
氏上(うじのかみ) |
| 6世紀の朝鮮半島では、高句麗の圧迫を受けた何が勢力を南下させたか? |
百済や新羅 |
| 6世紀初めの政治を指導した人物は、朝鮮半島への政策をめぐり勢力を失ったが、この人物は誰か? |
大伴金村 |
| 大伴金村はなぜ失脚したのか? |
伽耶西部の地域に対する百済の支配権が確立したから |
| 542年、誰と誰が仏教の受容についてのことで対立したのか? |
蘇我稲目と物部尾輿 |
| 542年に蘇我稲目と物部尾輿が仏教の受容について争ったことをなんというか? |
崇仏論争 |
| 蘇我氏は誰と結んで朝廷の何を握ったか? |
渡来人と結んで朝廷の財政権を握った |
| 蘇我氏は三蔵(みつのくら)の管理を担当したが、この三蔵とは? |
神宝を蔵する斎蔵(いみくら) 皇室財産を蔵する内蔵(うちつくら) 政府財産を蔵する大蔵 |
| 589年、中国でなにが南北朝を統一したか? |
隋 |
| 587年、大臣である誰が大連である誰を滅ぼしたか? |
蘇我馬子が物部守屋を滅ぼした |
| 592年、大臣である誰が誰を殺して政治権力を握ったか? |
蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺した |
| 崇峻天皇の父は? |
欽明天皇 |
| 崇峻天皇は誰の死後に即位したか? |
用明天皇 |
| 崇峻天皇の死後、誰が新たに即位したか? |
推古天皇 |
| 推古天皇の父は? |
欽明天皇 |
| 推古天皇は日本初の女帝であるが、誰の妻であったか? |
敏達天皇 |
| 推古天皇は誰を摂政に任命したか? |
聖徳太子(厩戸王) |
| 聖徳太子は推古天皇にとってどのような人物か |
自分の甥にあたる |
| 聖徳太子の父は? |
用明天皇 |
| 摂政とはどのような役割か? |
天皇が病気または幼少時の際に政務を処理する |
| 関白とはどのような役割か? |
天皇を補佐する |
| 603年、個人へ冠位を付与するなにが制定されたか? |
冠位十二階 |
| 冠位十二階を制定した目的は? |
人材登用 |
| 604年、なんという憲法が定められたか? |
憲法十七条 |
| 憲法十七条はどのようなものであったか? |
豪族たちに国家の官僚としての自覚を求めるとともに、仏教を新しい政治理念として重んじるもの |
| 憲法十七条の「三宝」とは? |
仏・法・僧、つまり仏教を意味する |
| 607年、なにが隋に派遣されたか? |
遣隋使 |
| 607年、遣隋使として派遣されたのは誰か? |
小野妹子 |
| 冠位十二階、憲法十七条、遣隋使、それぞれ何年の出来事か? |
603年、604年、607年 |
| 遣隋使の派遣においては、どのような形式をとったか? |
中国皇帝に臣属しない形式 |
| 遣隋使を派遣した当時の隋の皇帝は誰か? |
煬帝 |
| 遣隋使が隋の皇帝煬帝に渡した国書には何と書かれていたか? |
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや、云々」 |