| 1976年、アメリカの航空機製造会社の売り込み工作に日本の政治中枢にある政治家が関与し、逮捕・起訴された贈収賄事件は何か |
ロッキード事件 |
| 1998年、国の行政組織や事務などを、簡素かつ効率駅なものにする目的で制定された法律は何か |
中央官庁等改革基本法 |
| 行政の民主化のために、国民の代表が公務員の職務を監督する制度を何というか1809年にスウェーデンで創設され、日本では川崎市が1990年にはじめて導入している |
オンブズマン制度 |
| 「地方自治は民主政治の最良の学校である」と述べたイギリスの政治学者は誰か |
ブライス |
| 19世紀前半に活躍したフランスの政治家で、アメリカの地方自治制度を民主政治の根源である、と述べたのは誰か |
トックヴィル |
| 憲法第92条の地方自治の本旨の一つで、地域住民の意思と参加によって成り立つ、という原則を何というか |
住民自治 |
| 直接請求権の一つで、条例の制定・改廃を求める権利を何というか |
イニシアティヴ |
| 憲法改正の国民投票や地方自治特別法制定の際の住民投票などを何というか |
レファレンダム |
| 国税3税(所得税・法人税・酒税)と消費税・たばこ税の一部は、一定の算定基準で自治体に配分される。使途が特定されないこの移転的支出を何というか |
地方交付税交付金 |
| 各省庁に配分された一般歳出の一部は、使途を限定して地方に配分される。補助金・負担金などと呼ばれるこの移転的支出を総称して何というか |
国庫支出金 |
| 国が徴収した税金の一部を、一定の基準に基づき地方自治体に譲与する税金の総称は何か |
地方譲与税 |
| 国の権限を大幅に地方に委譲するために制定された「改正地方自治法」など関連法の総称を何というか。1999年に成立、2000年4月から施行された |
地方分権一括法 |
| 地方分権一括法の成立にともない、それまでの国の地方への機関委任事務は、廃止されたもの、国が直接執行するもの、地方自治体が法令に基づき国に代わって執行するものに再編成された。このうち、国のしごとを地方が代わりに行う事務を何というか |
法定受託事務 |
| 都市計画の決定など、地方自治体が権限を独自に有する事務を何というか。件数では全体の約55%を占める |
自治事務 |
| 地方分権一括法の成立にともない、地方税法が改正され、国の許可制だった「法定外普通税」が同意を要する事前協議制に変わったほか、一定の目的のためであれば地方が独自に課税することが可能になった。三重県の「産業廃棄物税」がはじめてとなるこの税制を何というか |
法定外目的税 |
| 地方自治法により、人口50万人以上の市は政令指定により、国や道府県のさまざまな権限が委譲される。このような市を何というか |
政令指定都市 |
| 国は、経費節減のための広域行政化を推進してきた。1995年には市町村合併特例法を改正し、2005年までに合併した自治体にさまざまな特権を与えることで統合を進めてきた。「平成の大合併」である。自治体の議会の議決を経て設置される合併のための組織を何というか |
法定協議会 |
| 2002年、内閣総理大臣の認定があれば一定地域に限定して省庁の規制を緩和する制度が始まった。地方の独創的な取り組み、活性化を支援するためである。この制度が適用される地域を何というか |
構造改革特別区域 |
| 地方自治体が条例に基づいて行う「住民投票」に法的拘束力はないが、1996年にはじめて住民投票を行った新潟県の町は国の原子力政策を左右した。この町はどこか |
港町 |
| 住民投票をはじめて常設化しただけでなく、在日外国人や18歳以上の人にも投票権を認めた自治体はどこか |
愛知県高浜市 |
| 「改革派知事」とも呼ばれ、脱中央集権・脱官僚主義を掲げて、既成政党に批判的な都道府県知事を何というか。1991年の橋本大二郎・高知県知事にはじまる |
無党派知事 |
| 分権国家をめざす県知事らが、2002年以降結成している連絡組織は何か |
地方分権研究会 |
| 功利主義をとなえ「最大多数の最大幸福」が法と道徳の基本原理であると唱えたイギリスの思想家は誰か |
ベンサム |
| 現代アメリカの政治哲学者で「基本的自由に対する平等の権利」という「正義の第一の原理」に加えて、政府による再分配を「正義の第二の原理」として唱えたのは誰か |
ジョン ロールズ |
| 人間は他人のために単なる手段となってはならないとし、また他人を道具として利用してはならないとして人格の尊厳を説いたドイツの哲学者は誰か |
カント |
| 近代科学の自然支配を反省し、人間の倫理性を回復するためにアフリカのランバレネでキリスト教の伝道と医療に従事したフランス人は誰か。ノーベル平和賞を受賞している |
シュヴァイツァー |
| シュヴァイツァーは「人間は生きようとする生命に囲まれた、生きようとする存在」であるとの自覚に基づき、倫理の根本原理を確立し、実践した。この原理を何と表現したか |
生命への畏敬 |
| 第二次世界大戦中、ナチスに捕らえられ、アウシュヴィッツの収容所での体験をえがいた「夜と霧」で、たとえ極限の状況に置かれたとしても、人間らしい尊厳に満ちた態度で生き抜いた人々の存在を語ったのは誰か |
フランクル |
| ヒンドゥーのアヒンサ(不殺生)を継承・発展させたサティーヤーグラハ(真理把持)を運動の基本原理とし、非暴力・非服従によりイギリスからのインド独立を実現した指導者は誰か |
ガンディー |
| ガンディーの影響を受けた一人で、1955年のバス-ボイコット運動をはじめとする、アメリカの人種差別制度の撤廃を要求する「公民権運動」を指導した人物は誰か |
キング牧師 |
| インドを中心に「孤独の家」「ハンセン病患者の家」「死を待つ人の家」「結核患者、精神病者の家」等を運営し、弱者に対する無差別・無条件の愛の実践に生涯をささげた修道女は誰か。ノーベル平和賞を受賞している |
マザー=テレサ |
| 政治的殺害や難民などの重大な人権侵害をなくすために「良心の囚人」の解放や、拷問・死刑の廃止を求めて国際的に活動しているNGOは何か。ノーベル平和賞を受賞している |
アムネスティ-インターナショナル |
| 言論や宗教、思想などを理由に不当に捕らわれ、投獄された人々をアムネスティ-インターナショナルはどのように呼んでいるか |
良心の囚人 |
| 全員が社会の構成員であり、国家もまた社会の構成員全員からなり、それらの人々全員が主権者となるとルソーが唱えた論とは何か |
人民主権論 |
| 「実践理性批判」で衝動や欲望に支配されず、自分の理性によって立てた道徳法則に自発的に従うことが「自律」であり、その時人間は真に自由であると論じたのは誰か |
カント |
| 歴史とは絶対精神が自由を表現していく過程であるとして「世界史は自由の意識の進歩にほかならない」と述べたドイツの哲学者は誰か |
ヘーゲル |
| ヘーゲル哲学の最高原理であり、その本質は自由であるとした、すべての矛盾や対立を総合した究極の精神とは何か |
絶対精神 |
| 「自由論」のなかで、個人の自由は最大限に尊重されるべきであり、他人の権利を侵害しないかぎり第三者による制限は認められない、と主張したイギリスの哲学者とは誰か。福沢諭吉など明治時代の思想家たちに大きな影響を及ぼした |
ジョン=スチュアート=ミル |
| 人間は自分自身で自己の本質を自由につくりだしていく存在であり、それゆえに自分のなすこと一切に責任があり、孤独でもある。その状況を「人間は自由の刑に処せられている」と述べた20世紀フランスの哲学者とは誰か |
サルトル |
| 一定の状況のなかで、人間は自己拘束でもある選択を必ず迫られる。その選択は、自己のみならず歴史や社会を選択することでもある。全責任を引き受ける覚悟で選択し、積極的に社会参加することをサルトルは何と表現したか |
アンガージュマン |
| 「二つの自由概念」というエッセイで自由の概念を積極的自由と消極的自由に分けて説明した、20世紀のイギリスを代表する思想史家・政治理論家とは誰か |
アイザイア バーリン |
| 自分で考え、自分で決定し、自分自身で自分の在り方を選択するという意味の「~への自由」をバーリンは何と呼んだか |
積極的自由 |
| 社会や権力や伝統による強制や規則から逃れるという意味の「~からの自由」をバーリンは何と呼んだか |
消極的自由 |
| 「自由からの逃走」を著し、自由の重荷に耐えかねて、権威に追従する大衆を分析したドイツ生まれで後にアメリカに亡命した哲学者は誰か |
フロム |
| 民主主義の実現には、道具的理性の対極にある「コミュニケーション的理性」を用いた討議による合意が重要であると提唱したのは誰か |
ハーバーマス |
| 福祉実現のためには、物質的豊かさのみではなく、「潜在能力」の実現が重要であると提唱したインド出身のノーベル経済学賞受賞者は誰か。緒方貞子とともに「人間の安全保障委員会」共同議長を務める |
アマルティア セン |
| 三十年戦争の反省から国際法の必要性を説き「国際法の父」といわれるオランダの法学者は誰か |
グロティウス |
| 戦争状態において遵守すべき国際法が存在すると説いたグロティウスの主著は何か |
戦争と平和の法 |
| 公海自由の原則を主張したグロティウスの著作は何か |
海洋自由論 |
| 国際法のうち、公海自由の原則や外交官特権など成文化されなくとも有効な基準を何というか |
国際慣習法 |
| 国際慣習法に対して、条約・協定・宣言など成文化されたものをな何というか |
成分国際法 |
| 1998年、大量虐殺や戦争犯罪に関与した個人を裁く裁判所を設立する条約がローマで採択され、2002年に発効した。アメリカはいったん署名したが後に撤回し、日本はまだ署名していない。国連機関ではないが国連が推進して設立されたこの裁判所は何か |
国際刑事裁判所(ICC) |
| ICC(国際刑事裁判所)は安保理決議に基づき、ルワンダのジェノサイド容疑者を裁く「国際刑事法廷」をタンザニアに、旧ユーゴの国家元首らを追及する「国際戦犯法廷」をオランダのハーグに設置した。また2006年7月に、ポルポト派の虐殺を追及する「特別法廷」を現地政府と共同でプノンペンに設置した。どこの国の事件を裁くことになるか |
カンボジア |
| 1941年8月に、F・ローズヴェルトとチャーチルが第二次世界大戦の戦後処理と協力体制について話し合い、共同声明として発表したのは何か |
大西洋憲章 |
| 1944年8月から米・英・ソ・中が国際連盟に代わる新国際組織のあり方について話し合い、憲章を検討した。この会議は何か |
ダンバートン-オークス会議 |
| 1945年2月の米・英・ソによる会談は、戦後処理に加えて国連の投票方式を検討し、大国に拒否権を与える決定を行った。この会談は何か |
ヤルタ会談 |
| 1945年4月から、ダンバートン-オークス会議の決定を検討する会議が開催され、一部修正した憲章を50か国が採択した。この会議は何か |
サンフランシスコ会議 |
| 安全保障理事会が拒否権により機能しない場合、総会が加盟国に勧告する決議を何というか。1950年に採択された |
平和のための結集決議 |
| 貧困や戦争の根幹を解決するために、経済・社会などに関する国際問題を処理する国際連合の主要機関を何というか |
経済社会理事会 |
| 2006年、それまでの経済社会理事会の補助機関であった「人権委員会」を発展させ、総会の補助機関として新設された国連の組織は何か。各国の人権状況を定期的に審査する |
人権理事会 |
| 国際連合事務局の首席行政官をなんと言うか。安保理の勧告により総会が任命する |
事務総長 |
| 2006年末までの第7代事務総長は誰か。ガーナ出身である |
コフィ アナン |
| 2007年からの新しい事務総長は誰か。韓国出身である |
潘基文(パンギムン) |
| 南北問題の解決を目指す国連の常設機関は何か。1964年設立、本部はジュネーブ |
国連貿易開発会議(UNCTAD) |
| 国連人間環境会議に基づき、1972年に設立された環境問題を取り扱う常設機関は何か。本部はケニアのナイロビ |
国連環境計画(UNEP) |
| 学問的研究や研究者の連携を図る国連機関は何か。1972年設立、本部は東京 |
国連大学(UNU) |
| 経済社会理事会は、さまざまな委員会や総会設立機関などと協力して活動する。中でも、政府間協定により設立され、国連と協定を結んでいる17の機関との連携は密である。これらの機関を総称して何というか |
専門機関 |
| 国際的な食糧問題や農業問題に取り組む国連の専門機関は何か。1945年設立、本部はローマ |
国連食糧農業機関(FAO) |
| 1999年の「世界食料サミット」において、FAOは栄養不足人口を2015年までに半減することを目指す宣言を行った。この宣言を開催地にちなんでなんというか |
ローマ宣言 |
| 特許や著作権などの、知的所有権を保護するための専門機関は何か。1970年設立、本部はジュネーブ |
世界知的所有権機関(WIPO) |
| 国連の経費は各国の経済力を基準に、総会により割り当てられる。日本は2007~2009年に全体の約16.6%を占め、アメリカに次いで2位。この負担金を何というか |
国連分担金 |
| 国連加盟国は、2006年にモンテネグロが加盟して192か国となった。2002年に加盟したスイスは190か国めとなる。同年に加盟した、191か国めの国はどこか |
東ティモール |
| 人間の生存・生活・尊厳に対する脅威に対して、人々が連携して立ち向かうための国連の組織は何か。当時の小渕恵三首相が提唱し、2001年に設立された |
人間の安全保障委員会 |
| 1950年、ソ連が安保理を欠席して拒否権を発動しなかったために「国連軍」が組織され、アメリカ軍を実態とする部隊は派遣された。何という戦争の時か |
朝鮮戦争 |
| 1991年の湾岸戦争の際に、安保理の武力行使容認決議を受けて、アメリカ軍を主力とする24か国で構成された軍事組織は何か |
多国籍軍 |
| 加盟国間の武力による威嚇、武力行使は国連憲章第2条で禁じられているが、自衛のためと安保理の承認がある場合は例外である。また、平和の破壊者を制裁し、平和を回復する手段として国連による武力行使が容認されている。これらは憲章の第何章に規定されているか |
国連憲章第7章 |
| 加盟国の個別的自衛権・集団的自衛権を認めているのは国連憲章の第何条か。第52条では、国連の目的と合致する地域機構の結成を認めている |
国連憲章第51条 |
| 1946年、イギリス首相チャーチルはアメリカのフルトンでの演説で東西両陣営の境界線を何と呼んだか。「バルト海のシュテティンからアドリア海のトリエステまで大陸を横切って降ろされている」と表現した |
鉄のカーテン |
| 1947年、当時のアメリカ合衆国の大統領が行った社会主義封じ込め宣言を何というか |
トルーマン-ドクトリン |
| 1947年、アメリカの国務長官が発表したヨーロッパの経済復興策を何というか |
マーシャル-プラン |
| 1948~49年にかけて、ソ連が西ベルリンを封鎖したことに対してアメリカを中心とする西側が空輸で食料援助をおこなった事件を何というか |
ベルリン封鎖 |
| 1949年、アメリカや西欧を中心とする西側諸国は、ソ連の脅威に対抗するために集団的防衛体制を確立した。これを何というか。現在、東欧を含む26か国が加盟している |
北大西洋条約機構(NATO) |
| NATOには非軍事部門と、実質的に軍事同盟として機能する軍事部門とがある。1966年、核戦略をめぐる対立から、軍事部門から脱退した国はどこか |
フランス |
| 北大西洋条約機構に対抗して、1955年にソ連を中心に東側諸国が結んだ軍事同盟を何というか。1991年に解体した |
ワルシャワ条約機構(WTO/WPO) |
| 1956年、フルシチョフのスターリン批判後、ハンガリーで民主化運動が生じた。ソ連はWTOを根拠に2度にわたって軍事介入し、事件後の政権によりナジ首相ら多数が処刑された。この事件を何というか |
ハンガリー事件 |
| 1962年、ソ連がキューバにミサイル基地を建設しているとして、アメリカが海上封鎖した事件を何というか |
キューバ危機 |
| 「キューバ危機」後、アメリカ大統領ケネディとソ連首相フルシチョフの間に直接電話が設けられた。これを何というか |
ホットライン |
| 1965年、南北ベトナムの紛争にアメリカが本格的に介入し、1973年に撤退するまで続いた戦争は何か |
ベトナム戦争 |
| 1968年、チェコスロバキアのドプチェク政権は「人間の顔をした社会主義」のための民主改革運動を行った。WTO軍の軍事介入で挫折したこの改革を、その首都名にちなんで何というか |
プラハの春 |
| ワレサを指導者としたポーランドの自主管理労働組合を何というか。1990年、東欧ではじめて複数政党制による自由選挙が実施され、ワレサが大統領に就任した |
連帯 |
| 緊張緩和の動きを、フランス大統領ド=ゴールは何と呼んだか |
デタント |
| 1954年、中国の周恩来とインドのネルー両首脳が会談し、平和のための取り組みを発表した。何というか |
平和五原則 |
| 1955年、第1回アジア・アフリカ会議が開催され、平和十原則が採択された。開催地となったインドネシアの都市はどこか |
バンドン |
| 冷戦を主導するアメリカ、ソ連のどちらの陣営にも属さず、同盟も結ばないという考えを何というか |
非同盟主義 |
| 1961年、非同盟諸国首脳会議が開催されたユーゴスラビアの都市はどこか |
ベオグラード |
| 当時のユーゴスラビアの大統領で、非同盟主義を掲げ、ソ連に対する独自路線を推進した人物は誰か |
ティトー |
| 1971年、中華人民共和国は中華民国に代わり国連の代表権を得た。翌72年に訪中したアメリカ大統領は誰か |
ニクソン |
| 1973年、エジプトが失地回復を狙ってイスラエルを攻撃し、第一次石油危機の引き金となった戦争は何か |
第四次中東戦争 |
| 1979年、パーレヴィ国王政権を打倒し、宗教指導者ホメイニを最高指導者とする革命を何というか |
イラン革命 |
| 革命によって弱体化したイランに対して、隣国イラクが侵入して1980年から1988まで続いた戦争を何というか |
イラン・イラク戦争 |